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カテゴリー「Reading material」の19件の記事

2016年10月13日 (木)

それが我々に歓喜をもたらすことを私は知っている

インテルとの契約が満了し
故郷のカルドーニョで
トレーニングを続ける

Caldogno

移籍先として
レヴァークーゼン・ドルトムント
バルセロナ・ガラタサライ
さらにはプレミアやMLS・Jリーグの
チームの名前が上がる


しかし
本人は
自身4度目のW杯へ向け
国内移籍を模索する

国内で名前のあがっていた
ナポリとウディネーゼは
それぞれ
監督が獲得を望まず
年棒と若手のチームへという理由で
契約には至らず


獲得を熱望したのは
レッジーナとブレシア

Bresciaview

故郷カルドーニョから近い
ブレシアが選択される



2年契約の推定年棒45億リラ
セリエB降格
マッツォーネ監督の解任の場合
契約は無効

すでに背番号“10”は
エスポージトで確定していたが
エスポージト自身の表明と
連盟が登録された背番号の変更の例外を認め

10番”を背負う

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その番号は後に
ブレシアの永久欠番となる


34歳のバッジョが牽引し
34年振りのセリエA残留


それからも


度重なる故障での欠場
毎シーズンちらつく
“引退”の2文字

そんな中
33歳~37歳の4年間
(ブレシア在籍期間中)
毎シーズン2桁得点の
45ゴール

セリエA通算205ゴール
(歴代5位)
通算318ゴール

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全盛期のキレはないが
1タッチ2タッチで攻撃を演出
ここぞという場面で
エネルギーを爆発させ
珠玉のプレーをする

それは
監督カルロ・マッツォーネの
「90分間で一度だけでもいいから
 君らしいプレイをしてくれ」

という指示通りの

芸術的なプレーであった


そのチームは
チャピオンズリーグとは程遠く
残留争いの弱小チームだったかもしれない


しかし
イタリアが生んだ
最高のファンタジスタが
最も輝いた時だったのかもしれない


2004年4月28日
1試合のみの代表復帰を経て
5月16日vsACミラン戦を
最後にピッチを去った

Gankobanner_2に参加しつつ

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Antena3に参加しています

2016年10月10日 (月)

天敵との邂逅

ボローニャでのシーズンの終わりが近づく時

「代表に選ばれたら来シーズンも
 ボローニャに残りたい
 しかし
 選ばれなければ国外で
 プレーすることもありうる」

とコメント

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しかし
移籍先に選んだのは
セブンシスターズの一角で
三階建て構造の時からビッグ3の1つ
インテル

これでビッグ3
全てに在籍経験を得る


その時のインテルには
フェノーメノと恐れられた
ブラジル代表のロナウドがいたが
度重なる靭帯の損傷で
2人の競演は皆無に等しかった


この頃

中田英寿が日本人2人目の
セリエAデビューを果たす

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Jリーグドリームマッチで
来日しMVPを獲得

その時のインタビューで

(人生の勝利とは何だと思いますかという問いに対して)

「幸せになる事です
 人生で一番大切なのは
 決してスターとして生きている時間ではない
 子どもの頃は穏やかな人々に
 囲まれた純粋な時間があった
 一度スターになれば
 周囲は純粋な人ばかりではない
 また スターである時間は短い
 私の本当の勝負は
 スターを終わった後にあると思っています
 自分の中に刻んだものが
 そこから生きていくはずです」


個人的に印象に残ったインタビュー

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そんな中のインテルでのシーズン

1年目は監督が3度変わり8位と低迷

そして現れたのは
マルチェロ・リッピ

最初のミーティングでいざこざがあり
それからは
控え選手の一番後ろにリストアップ
ウォーミングアップをしても使われず

ファンタジスタ嫌い”を象徴する
一面を見せつけられ
バッジョは2シーズンでインテルを去る


バッジョは去り際
パルマとのプレーオフで
ドッピエッタの活躍で
CL出場権を置き土産に
リッピ監督を首の皮1枚で助ける

しかし
リッピ監督は
次シーズン僅か3試合で
インテルを去る



ロナウドとの共演もやってみたい
唯一持ってるバッジョはこのユニ

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2016年10月 8日 (土)

歳を取って初めて見えてくるもの

“セリエAの1つの時代は終わった”



マスコミの発言である

それは
伝統こそあれどプロヴィンチャという
地方のクラブへの移籍だったことが
所以である



その報道とは裏腹に
チームレコードとなる

年間予約シート 27,000席の売上

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合宿中に
トッリージの手により
コディーノのトレードマーク
ポニーテールを切る


何かと縁のあるPKで
移籍後初ゴール


しかし
ここでも監督ウリヴィエリと対立


ミラン戦やユヴェントス戦で
スタメンを外される


そんな中
セリエA出場300試合
自身キャリア最高の22G

そのゴール数は
ビアホフ・ロナウドに次ぐ3位
デル・ピエロを抑えて
イタリア人最多

フランスW杯出場への
執念の数字を残した


数字の上では
キャリアハイの絶頂であった

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このボローニャには
1シーズンの在籍であったが

インタビューで
「忘れられない素晴らしいシーズンだった
 ボローニャに行って初めて知ったんだ
 ある程度の歳を取って
 経験を重ねて
 初めて見えてくるもの
 があるんだってね」

と答えている

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ボローニャ…
面白そうだが思いつかない
名古屋に持っていくには…

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2016年10月 6日 (木)

ファンタジスタは終わるのか?

1995年7月20日

ミラネッロ(ACミランの練習場)での
キャンプ初日
数千人のミラニスタが押し寄せた


それは希代のファンタジスタを
見る為に

Milano

しかしその移籍にも
本人が
「今までの人生で一番ハードな日々だった」
と語るほどの一頓挫があった


セリエAで優勝を飾るも
契約は延長されず

インテルのモラッティ会長が
「アニエリ氏(ユヴェントスのオーナー)
 バッジョの放出を決意した」

と発言


本人は
「ユヴェントスの役員は私を売る事で
 金を得る事を選んだ
 こんな恥知らずな行動は
 信じられない」

とインテルへの入団を拒否



リーグ最終戦のスタジアムには
ファンタジスタは姿を現さなかった




チームは正式に
移籍の可能性を発表する

210億払うチームなら
好きなチームへ行けると

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そんな騒動の中
ミランへやってきたバッジョだが

サビチェビッチが10番をつけており
練習に取り組む姿勢からも
10番にふさわしい選手と認め
誕生日にちなんだ
18番”を着用する

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そんなシーズン
カッペロ監督の構想に合わず
先発出場も少なく
ベンチを温める時間が長かった

しかし
自身2年連続のスクデットを獲得

PKを決めた後
コーナーフラッグで
ユニフォームを高く揚げる
派手なパフォーマンスの
珍しい姿もあった


翌シーズンは成績不振により
タバレス監督から
アリゴ・サッキ監督に交代

PKキッカーも
アルベルティーニに変更され
ベンチそして
スタンドでの姿も多く見られるようになる


さらに次のシーズンは
カッペロ監督に戻る事が決まる


そして戦力外と通告される

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時代が変わり
ファンタジスタが不要になり
バッジョ自身も終わった人
という評価に変わりつつあった

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かつて考えたバッジョのミラン
今ならアルベルの金も…


ただし
ここ数日プレイしていない
(できていない)

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2016年10月 5日 (水)

移籍という市場

1990年

イタリア期待の若手は
ブラボー90を受賞する
(グェリン・スポルティーボ(イタリアスポーツ紙)
の89-90欧州3大杯
24歳以下の最優秀選手賞)

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その年に
彼自身も望まない移籍が成立する


それは
“イタリアの貴婦人”
ジャンニ・アニエッリ氏が
ミシェル・プラティニの後継者として
若者をリストアップした事から始まる

移籍金が欲しかったのか
“貴婦人”には逆らえなかったのか
真実はわからない


だがその騒動は
ヴィオラのポンテッロ会長の退任
負傷者50人
逮捕者15人
拘置者54人

の大騒動となる


若者自身も第1子誕生直前の中

「私はフィオレンティーナを
 愛しているし
 ここに残りたいと思っている
 でも私にその選択は残されていない
 伯爵はピノキオよりもうそつきだ」


と涙ながらにコメントを残す




ひと悶着のあった移籍ではあったが
白と黒のユニフォームを着た若者は
より輝きを増していく



セリエA 200試合 出場
セリエA 100得点


そして
FIFA世界年間最優秀選手
欧州年間最優秀選手
(バロンドール)

のダブルクラウンの達成





その92年には
ジャパンツアーで来日をしている
その時から
同じ1967年生まれ
三浦知良と親交がある
(学年は三浦が1つ下)

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92年には
UEFA杯をクラブにもたらし
94年には
自身も初のスクデットを獲得する





しかし
それと同時に
アレッサンドロ・デル・ピエロ
台頭してくる

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そして
ルネサンス最盛期の画家
ラファエロ”に例えられた
若者は
契約は延長されることがなく
再び移籍という市場の
呪いに見舞われる



それは

ファンタジスタの先駆者
マラドーナ
ヨーロッパから去り

ローマの王子様
ジュゼッペ・ジャンニーニ
フェードアウトした



時代の変革の1つだったかもしれない



サッカーが
魅せるモノから
観せるモノへ
スポーツという芸術から
ビジネスという商品へ
変わっていく
瞬間だったのかもしれない




そんな
ユヴェントスでバッジョを使うなら
デル・ピエロと共存させたい

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勿論
ユーヴェのバッジョは持っていない


予定が合っても
チームは作れる時間はあるのか…

不安要素ばかり

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2016年10月 4日 (火)

1本半の足のプレーヤー

1985年5月3日

後に誰からも愛されるファンタジスタは
ついにセリエAのチームと契約を交わす

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しかし
その2日後の5月5日
神は過ちを犯すことに…


アリゴ・サッキ率いる対リミニ戦
先制点を挙げた青年は
懸命に相手選手を追い
スライディングを行ったか躓いたのか

サッカーではよくあるように見える光景である



その時の怪我は右膝十字靭帯断裂
220針も縫う大怪我



だがチームは
天才の才能を
ファンタジスタの翼を信じ
契約をしたまま彼の復帰を待つ


アレルギーのある青年は
薬も飲めず
復活への希望のみでリハビリを懸命に行う

青年のセリエAはゼロではなく
マイナスからのスタートとなってしまった

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コッパイタリアの対ウディネーゼ戦
14分だけだが出場を果たす

その後のユース国際トーナメントでの
無理がたたり
再び戦列を離れる

9月17日UEFA杯 対ボアヴィスタ戦で復帰


9月21日 対サンプドリア線で
ついにセリエAのピッチに立つ


しかし
再び半月板の損傷
またもやリハビリとの闘いとなる


翌年1986年4月26日
対インテル戦
後半30分から交代で出場を果たす

その時の事を
どのゲ―ムに出場したかよりも
 走って膝に痛みを感じなかった
 その事が私にとって勝利だった

と語る


約2シーズン棒に振り

迎えたシーズンでは15G
翌年は
当時世界最強と謳われていた
マルコ・ファン・バステンに次ぐ17G

国内期待の若手の地位を確立していった


後にこの怪我の事を
「その場で引退を宣告されても
 おかしくないほどの大怪我
 右膝が逆側に曲がってしまったような状態
 以来 私は1本半の足でプレーしてきたんだ」
と語っている

若干20歳の青年には過酷すぎる試練だった

しかしそのプレーは相手の重心が見えているかのような動きで
足が3本あるかのようなプレーだった









その時のチームA.C.フィオレンティーナ

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ユニで縛っても彼と同時に起用できる


しかし
ヴィオラのバッジョは持っていない
(ってかインテルしか持ってない…)



さてチームはどうしよう…

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2016年10月 3日 (月)

もう一人の主人公

1967年2月18日

ヴェネト州カルドーニョ村にて
8人兄弟の3男として生まれた
偉大なスターがいた

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9歳になった少年は
カルドーニョのプルチーニ(アマチュアジュニアチーム)に入団する

12歳になると
42G20Aの活躍
対レヴァー戦では
ダブルハットトリックをやってのける




その天才少年の噂は瞬く間に広まり
同じヴィチェンツァ県の(当時)セリエC1の
ヴィチェンツア・カルチョの
選手発掘の目に留まる

スカウトは半信半疑だったが
選手発掘担当やチーム関係者が
強く勧めたおかげで
22人の候補生の1人として
入団テストを受ける


当時の様子を本人は

「夏の暑い日でした
 10分間の短いテスト試合で
 2ゴール決めたんです

「私に関して良いレポ―トを
 書いてくれたと思います
 しかし
 ヴィチェンツァのチ―ム・ドクタ―の下で
 働いていた女性が口添えを
 してくれたおかげなんです」


と語っている


13歳6ヶ月でプロチームに入団は果たし
6ヶ月の練習期間を経てプロデビュー
(イタリアの規定で14歳からしかゲームに出場できない)








その頃
監督より“ジーコ”という
ニックネームで呼ばれる

Zico

本人も生まれ故郷の近くの
ウディネに所属している
ジーコに親近感があり

後に
「ジーコに似ているのは
 当然だったんだ
 僕は彼のフリーキックを
 子供の頃から真似ていた
 ジーコのようにプレイしたいと
 いつも考えていたんだからね」

と語っており


実際ジーコとの初対面時
ファンであることを告白している


そのジーコも
「彼はフィールドの中では
 できないことなど何もない」
「FKは見事という他にない
 もし同じ時代にプレーしていたなら
 教えを乞うよ」

と絶賛しており

ファンであると告白された後
自分のゴール集のビデオやグッズを
プレゼントしたという



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そしてプレシーズンのヴェローナ戦で
デビューを飾るが
最初の2シーズンは
若さと怪我を理由に6試合1G

初ゴールは対ブレシアでのPK
彼らしいスタートである

そして3シーズン目は29試合12G
ユースでのデビューも果たし
ついにセリエAからのオファーも届きだす









この話が
不滅杯での
不滅の輝き氏ともう一人の主人公
ロベルト・バッジョ

そうファンタジスタの産声の物語


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不滅杯はヴィチェンツアも視野に入れる…?
エントリー始まりましたが予定は未定

チームの確保もできてないので…

でもこのチーム新規監督だったような気が…

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2016年7月15日 (金)

ORANIE GRANDE TRIO

今回のキャンペーンのデザインなかなか斬新


欲しいのは1つ1種
(何個か欲しい)







自分がサッカーにハマるきっかけになった3人

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1988年はその3人が輝き
オランダ代表が唯一メジャータイトルに輝いた1年


先日終了したEURO


1988年のそれを制したのがオランダ
その3人の中の1人
最もチームを牽引したといっても過言ではない1人
マルコ・ファン・バステン

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決勝のボレーシュートや
イングランド戦のハットトリックが有名だが

自分が個人的に興味が惹かれたのは
ある結果




この大会オランダは初戦のソ連戦で
1敗を喫している
しかしマルコはその試合はベンチに座っていた



監督ミケルスの采配が悪いとは思わない
実際 1974年のW杯決勝で敗れてからの天敵
西ドイツに勝ったのも
その他の試合でも

アヤックスでトータルフットボールを
生み出した名将の采配は素晴らしかった
前年ミラン移籍1年目で怪我で満足な活躍をしていないマルコ
好調をキープしているボスマン
間違った起用ではなかったと思える




しかしその1戦のみを落とす事となる
(マルコのスタメンの試合は全勝)



しかも決勝は初戦で土をつけられたソ連
そこでのスコアラーはトリオの2人
フリットとマルコ


後にACミランのファンから
神は8日目にマルコを創造した
とまで言われた彼を象徴する大会だったと言えるデータ

旧約聖書では8日目に世界が作られており
まさにこの年のEUROは彼が“世界”を作っていた

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世代的なものもあるのでしょうが
サッカーでトリオと言えば

自分はBBCMSNではなく
やっぱりオランダトリオ
もしくは南葛トリオ

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1988 ORANIE GRANDE TRIO』のケースに
SATLE』のマルコを入れて運びたい

Gankobanner_2に参加しつつ

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2016年2月15日 (月)

オランダトリオ最後の年

いつの時代からなら再現が可能なのか…


細々と調べる今日この頃…

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 ―1992年―



ビル・クリントンが米大統領になった
夏季冬季オリンピック同年開催
(アルベールビル・バルセロナ)の最後の年

「100人に聞きました」・「クイズダービー」放送終了
「セーラームーン」・「幽☆遊☆白書」放送開始
新幹線「のぞみ」運転開始
日清「ラ王」・MDプレイヤー1号機発売

松井5連続敬遠
きんさんぎんさん
風船おじさん 行方不明などが話題に

 

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サッカーでは
広島・AFCアジアカップで日本初優勝
最優秀に三浦知良
初の外国人監督にハンス・オフト


個人的には

チェッカーズ解散

尾崎豊 死去

がショックだった







そんな時

前年 無敗優勝をしたミランだが
シーズンオフに

とんでもない補強を行う




マルセイユから前年バロンドーラ―
ジャンピエール・パパン

レッドスター・ベオグラードから“ジュニオ(天才)”と称される
デヤン・サヴィチェヴィッチ


ザグレブからクロアチアの英雄
ズヴォニミール・ボバン

さらに
ジェノアから
ステファノ・エラーニオ
ナポリから
フェルナンド・デ・ナポリ
トリノから
ジャンルイジ・レンティーニ


まさに豪華布陣




しかし
開幕戦は1-0の辛勝

連勝記録は58伸びたものの
ストップしてからは
安定感を欠きインテルに猛追を受ける
何とか2連覇は達成した




豪華布陣によるターンオーバーの導入
これは革命的だが



一流選手ならではの
プライドの高さより
チーム内がギクシャクし始める


少しずつかもしれないが
確実に歯車が狂う前兆だたのかもしれない…






当時のメンバーは

【GK】
セバスティアーノ・ロッシ□※
フランシスコ・アントニオーリ
カルロ・グティチーニ

【DF】
マウロ・タソッティ☆
パオロ・マルディーニ■☆
アレッサンドロ・コスタクルタ□■☆
フランコ・バレージ☆
フィリッポ・ガッリ
ステファノ・ナヴァ
エンツォ・ガンバーロ

【MF】
ズヴォニミール・ボバン☆
デヤン・サヴィチェヴィッチ☆
ロベルト・ドナドーニ
ステファノ・エラーニオ
アルベリゴ・エバニ
ルート・フリット☆
デメトリオ・アルベルティーニ■☆
ジャンルイジ・レンティーニ
フランク・ライカールト☆
フェルナンド・ディ・ナポリ

【FW】
ダニエレ・マッサーロ
ジャン・ピエール・パパン☆
マルコ・シモーネ
アルド・セレーナ
マルコ・ファン・バステン☆



スタメンだけなら
綺羅キラで組めないことも…

こだわりのあんてなサイトAntena3

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2016年2月 1日 (月)

黄金時代

―1991年―

ソビエト連邦が崩壊し
クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなり
湾岸戦争が勃発する

千代の富士、中島悟(F1)が引退
南アフリカがオリンピックへ復帰

「ライオンのごきげんよう」「オールスター感謝祭」の放送が開始
「101回目のプロポーズ」「東京ラブストーリー」もこの年

「ラブストーリーは突然に(小田和正)」「SAY YES(CHAGEandASUKA)」
「愛は勝つ(KAN)」「I LOVE YOU(尾崎豊)」などがヒット

SMAP・ZARD・観月ありさがデビュー

これも

この年



ちなみにエデン・アザールとハメス・ロドリゲスはこの年に生まれる



そして“Jリーグ”の発足





そんな年に
トヨタカップで自分を魅了したロッソネロは
激動を迎える


靴のセールスマンだったアリゴ・サッキ

バレージ曰く
「サッキはACミランという触媒を通してカルチョに革命を起こした」

ボバンはこの頃のミランを
「イタリアではなくオランダのチームだった
だから見応えがあって楽しかった」


そんなサッキのサッカー

見てて楽しいサッカーが
自分をさらに引き込んでいく



しかし
サッキとミランにも綻びが見えはじめ
決定的な決別の試合が起こる


 チャンピオンズカップ準々決勝
  vsマルセイユ戦



当時マルディーニが
「今までで一番苦労した選手」と評した
クリス・ワドルがゴール…
その瞬間
照明器具の故障で辺りは暗くなる

そして
ミランの選手は皆 引き上げてしまう
(ホームで1-1・アウェイで0-1の状態)

この行為によりミランは
1年間 ヨーロッパの試合から姿を消す事になる
監督からサッキも姿を消す


しかし
その後を継いだファビオ・カッペロによって
ベストシーズンとなる


29-30 アスレティック・ビルバオ
31-32 レアル・マドリー
72-73 ベンフィカ
88-89 プレストン・ノースエンド
88-89 ステアウア・ブカレスト
94-95 アヤックス
01-02 シャフタール
03-04 アーセナル
10-11 ポルト
11-12 ユベントス

など

数えるほどしかない
リーグ戦無敗優勝を果たしている


ヨーロッパの試合がなかったから
という事もあるが…




間違いなく最強のフットボールチームの1つだった
(ファンの贔屓目あります)

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プレイ内外で話題を提供し
自然と目に留まることが増える


そんなシーズンのメンバーは


【GK】
セバスティアーノ・ロッシ★
フランシスコ・アントニオーリ★
カルロ・グディチーニ

【DF】
マウロ・タソッティ☆
パオロ・マルディーニ☆
アレッサンドロ・コスタクルタ☆
フランコ・バレージ☆
フィリッポ・ガッリ
アンジェロ・カルボーネ
ジョヴァンニ・コロッチーニ
エンツォ・ガンバーロ

【MF】
デメトリオ・アルベルティーニ☆
アルベリゴ・エバニ
ロベルト・ドナドーニ
カルロ・アンチェロッティ
フランク・ライカールト☆
ルート・フリット☆
ディエゴ・フゼール

【FW】
マルコ・ファン・バステン☆
ダニエレ・マッサーロ
マルコ・シモーネ
アルド・セレーナ



ユニ違い(★)合わせて10人

GKが2人だし
スタメンだけでも再現できず…


マッサーロあたりATREとかどうですか?・・・


15-16Verでは
やっぱり
SATLE ファン・バステン

ユニ違うけど
ATLE ルート・フリット
ATLE アルベルティーニ


これらは欲しい・・・

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