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2016年10月

2016年10月27日 (木)

不滅杯のチーム

Fumetsuhaipop2_2
時間とか…資金とか…
いろいろ壁があるものの




とりあえずチームを作成

結局こちらを参考に

Acm9596
ヴィツェンツァとともに排出されてない
バッジョ在籍チーム



公式大会出る気もないのに
作ったU5N8のミランを総取っ替え

Acm9596change

loanに出ていたりで
出場機会のなかった人選も…

バッジョ自体あまり待遇良くなかったし
まあifの世界やしね





ちゃんと

Acm9596rosso
ロッソネーリ発動するし良し
(としてください…)


上にったら通じないけど

Acm9596dfdf

DFのアシストで
DFが点を取るってなんかいい…

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2016年10月26日 (水)

変てな的Wカップ

Wカップの記事が少々賑わっています

Fifarank2016



スイス…14位か



ではベスト10の国から

Villarrealwhite

これなら
ガスパールをキラにするか
ハビ・ベンタにすれば
全部持ってる


あとは時間やな…

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続きを読む "変てな的Wカップ" »

2016年10月23日 (日)

団塊ジュニアの日本

変てな内で賑わう日本代表


ポスト団塊ジュニア
…団塊ジュニアと呼称される世代後期に生まれた
 主に団塊の世代を親に持つ世代
 この世代は、1990年代後半から2000年代の
 インターネット業界の成長の時期に社会人となり
 新しいネット文化の担い手の中心となった 
 ポスト団塊ジュニアの若者は
 高校生時代からネット・ケータイに親しみ
 女性はコギャル文化やお姉系などの新しい文化を形成し
 概ね1990年代後半から2000年代においての
 若者文化の担い手となる世代であった
 失われた20年や就職氷河期に翻弄された世代でもある





そんな世代の自分は
最近の日本代表はどうも馴染まない…





だから
日本代表って言われると…






Japan

こうなってしまう









3試合消化のベルギー続行もいいけど
これはこれでありかも…


しかし

シュンスケ
オノ
ソウマナオキ
カズ
ヤナギサワ
イノハ

以外は手元になかった


不滅杯(祭)もあるし
ここは我慢か…



ん~

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2016年10月19日 (水)

不滅杯に向けて

ラファエロの閃きを持ったファンタジスタ
そのファンタジスタ閃き
アズーリの至宝と称された

度重なる怪我・監督との確執
如何なる困難にも立ち向かい
不屈の救世主としての
コディーノの躍動

それは観客は勿論
相手プレイヤーさえも魅了する

その魔法こそが
永遠のファンタジスタたる所以である

そのプレーは
天の扉を開き
不滅の輝きを放つ




Fumetsuhaipop2_2

チーム構想の記事が
いつの間にか
彼の半生を追う記事に…






ということで本題に

アズーリで参加される方が
不滅の輝き監督とたんぼ監督

ドッセーナ監督が
ボローニャ

シロマメ監督は
やっぱりブレシア

他の方はオリジナルのバッジョinかな?





ボローニャとアズーリとブレシアは他にいる
インテルユヴェントスはなんか違う…

Baggio_vicenza

ヴィツェンツァ
似たようなんあるし…

Baggio_fio

うんヴィオラユニのバッジョがあれば
ありやな…持ってへんけどcoldsweats02

Baggio_milan_2

こっちの方が落ち着くかも…



残る壁は
チームの育成(資金・時間)と
漆黒の会社…



とにかく準備だけでも

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2016年10月13日 (木)

それが我々に歓喜をもたらすことを私は知っている

インテルとの契約が満了し
故郷のカルドーニョで
トレーニングを続ける

Caldogno

移籍先として
レヴァークーゼン・ドルトムント
バルセロナ・ガラタサライ
さらにはプレミアやMLS・Jリーグの
チームの名前が上がる


しかし
本人は
自身4度目のW杯へ向け
国内移籍を模索する

国内で名前のあがっていた
ナポリとウディネーゼは
それぞれ
監督が獲得を望まず
年棒と若手のチームへという理由で
契約には至らず


獲得を熱望したのは
レッジーナとブレシア

Bresciaview

故郷カルドーニョから近い
ブレシアが選択される



2年契約の推定年棒45億リラ
セリエB降格
マッツォーネ監督の解任の場合
契約は無効

すでに背番号“10”は
エスポージトで確定していたが
エスポージト自身の表明と
連盟が登録された背番号の変更の例外を認め

10番”を背負う

Hn150523baggiobre
その番号は後に
ブレシアの永久欠番となる


34歳のバッジョが牽引し
34年振りのセリエA残留


それからも


度重なる故障での欠場
毎シーズンちらつく
“引退”の2文字

そんな中
33歳~37歳の4年間
(ブレシア在籍期間中)
毎シーズン2桁得点の
45ゴール

セリエA通算205ゴール
(歴代5位)
通算318ゴール

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全盛期のキレはないが
1タッチ2タッチで攻撃を演出
ここぞという場面で
エネルギーを爆発させ
珠玉のプレーをする

それは
監督カルロ・マッツォーネの
「90分間で一度だけでもいいから
 君らしいプレイをしてくれ」

という指示通りの

芸術的なプレーであった


そのチームは
チャピオンズリーグとは程遠く
残留争いの弱小チームだったかもしれない


しかし
イタリアが生んだ
最高のファンタジスタが
最も輝いた時だったのかもしれない


2004年4月28日
1試合のみの代表復帰を経て
5月16日vsACミラン戦を
最後にピッチを去った

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2016年10月10日 (月)

天敵との邂逅

ボローニャでのシーズンの終わりが近づく時

「代表に選ばれたら来シーズンも
 ボローニャに残りたい
 しかし
 選ばれなければ国外で
 プレーすることもありうる」

とコメント

Milanitalystatue1

しかし
移籍先に選んだのは
セブンシスターズの一角で
三階建て構造の時からビッグ3の1つ
インテル

これでビッグ3
全てに在籍経験を得る


その時のインテルには
フェノーメノと恐れられた
ブラジル代表のロナウドがいたが
度重なる靭帯の損傷で
2人の競演は皆無に等しかった


この頃

中田英寿が日本人2人目の
セリエAデビューを果たす

Jomo99_6

Jリーグドリームマッチで
来日しMVPを獲得

その時のインタビューで

(人生の勝利とは何だと思いますかという問いに対して)

「幸せになる事です
 人生で一番大切なのは
 決してスターとして生きている時間ではない
 子どもの頃は穏やかな人々に
 囲まれた純粋な時間があった
 一度スターになれば
 周囲は純粋な人ばかりではない
 また スターである時間は短い
 私の本当の勝負は
 スターを終わった後にあると思っています
 自分の中に刻んだものが
 そこから生きていくはずです」


個人的に印象に残ったインタビュー

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そんな中のインテルでのシーズン

1年目は監督が3度変わり8位と低迷

そして現れたのは
マルチェロ・リッピ

最初のミーティングでいざこざがあり
それからは
控え選手の一番後ろにリストアップ
ウォーミングアップをしても使われず

ファンタジスタ嫌い”を象徴する
一面を見せつけられ
バッジョは2シーズンでインテルを去る


バッジョは去り際
パルマとのプレーオフで
ドッピエッタの活躍で
CL出場権を置き土産に
リッピ監督を首の皮1枚で助ける

しかし
リッピ監督は
次シーズン僅か3試合で
インテルを去る



ロナウドとの共演もやってみたい
唯一持ってるバッジョはこのユニ

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2016年10月 8日 (土)

歳を取って初めて見えてくるもの

“セリエAの1つの時代は終わった”



マスコミの発言である

それは
伝統こそあれどプロヴィンチャという
地方のクラブへの移籍だったことが
所以である



その報道とは裏腹に
チームレコードとなる

年間予約シート 27,000席の売上

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合宿中に
トッリージの手により
コディーノのトレードマーク
ポニーテールを切る


何かと縁のあるPKで
移籍後初ゴール


しかし
ここでも監督ウリヴィエリと対立


ミラン戦やユヴェントス戦で
スタメンを外される


そんな中
セリエA出場300試合
自身キャリア最高の22G

そのゴール数は
ビアホフ・ロナウドに次ぐ3位
デル・ピエロを抑えて
イタリア人最多

フランスW杯出場への
執念の数字を残した


数字の上では
キャリアハイの絶頂であった

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このボローニャには
1シーズンの在籍であったが

インタビューで
「忘れられない素晴らしいシーズンだった
 ボローニャに行って初めて知ったんだ
 ある程度の歳を取って
 経験を重ねて
 初めて見えてくるもの
 があるんだってね」

と答えている

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ボローニャ…
面白そうだが思いつかない
名古屋に持っていくには…

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2016年10月 6日 (木)

ファンタジスタは終わるのか?

1995年7月20日

ミラネッロ(ACミランの練習場)での
キャンプ初日
数千人のミラニスタが押し寄せた


それは希代のファンタジスタを
見る為に

Milano

しかしその移籍にも
本人が
「今までの人生で一番ハードな日々だった」
と語るほどの一頓挫があった


セリエAで優勝を飾るも
契約は延長されず

インテルのモラッティ会長が
「アニエリ氏(ユヴェントスのオーナー)
 バッジョの放出を決意した」

と発言


本人は
「ユヴェントスの役員は私を売る事で
 金を得る事を選んだ
 こんな恥知らずな行動は
 信じられない」

とインテルへの入団を拒否



リーグ最終戦のスタジアムには
ファンタジスタは姿を現さなかった




チームは正式に
移籍の可能性を発表する

210億払うチームなら
好きなチームへ行けると

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そんな騒動の中
ミランへやってきたバッジョだが

サビチェビッチが10番をつけており
練習に取り組む姿勢からも
10番にふさわしい選手と認め
誕生日にちなんだ
18番”を着用する

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そんなシーズン
カッペロ監督の構想に合わず
先発出場も少なく
ベンチを温める時間が長かった

しかし
自身2年連続のスクデットを獲得

PKを決めた後
コーナーフラッグで
ユニフォームを高く揚げる
派手なパフォーマンスの
珍しい姿もあった


翌シーズンは成績不振により
タバレス監督から
アリゴ・サッキ監督に交代

PKキッカーも
アルベルティーニに変更され
ベンチそして
スタンドでの姿も多く見られるようになる


さらに次のシーズンは
カッペロ監督に戻る事が決まる


そして戦力外と通告される

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時代が変わり
ファンタジスタが不要になり
バッジョ自身も終わった人
という評価に変わりつつあった

Baggiomilan

かつて考えたバッジョのミラン
今ならアルベルの金も…


ただし
ここ数日プレイしていない
(できていない)

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2016年10月 5日 (水)

移籍という市場

1990年

イタリア期待の若手は
ブラボー90を受賞する
(グェリン・スポルティーボ(イタリアスポーツ紙)
の89-90欧州3大杯
24歳以下の最優秀選手賞)

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その年に
彼自身も望まない移籍が成立する


それは
“イタリアの貴婦人”
ジャンニ・アニエッリ氏が
ミシェル・プラティニの後継者として
若者をリストアップした事から始まる

移籍金が欲しかったのか
“貴婦人”には逆らえなかったのか
真実はわからない


だがその騒動は
ヴィオラのポンテッロ会長の退任
負傷者50人
逮捕者15人
拘置者54人

の大騒動となる


若者自身も第1子誕生直前の中

「私はフィオレンティーナを
 愛しているし
 ここに残りたいと思っている
 でも私にその選択は残されていない
 伯爵はピノキオよりもうそつきだ」


と涙ながらにコメントを残す




ひと悶着のあった移籍ではあったが
白と黒のユニフォームを着た若者は
より輝きを増していく



セリエA 200試合 出場
セリエA 100得点


そして
FIFA世界年間最優秀選手
欧州年間最優秀選手
(バロンドール)

のダブルクラウンの達成





その92年には
ジャパンツアーで来日をしている
その時から
同じ1967年生まれ
三浦知良と親交がある
(学年は三浦が1つ下)

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92年には
UEFA杯をクラブにもたらし
94年には
自身も初のスクデットを獲得する





しかし
それと同時に
アレッサンドロ・デル・ピエロ
台頭してくる

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そして
ルネサンス最盛期の画家
ラファエロ”に例えられた
若者は
契約は延長されることがなく
再び移籍という市場の
呪いに見舞われる



それは

ファンタジスタの先駆者
マラドーナ
ヨーロッパから去り

ローマの王子様
ジュゼッペ・ジャンニーニ
フェードアウトした



時代の変革の1つだったかもしれない



サッカーが
魅せるモノから
観せるモノへ
スポーツという芸術から
ビジネスという商品へ
変わっていく
瞬間だったのかもしれない




そんな
ユヴェントスでバッジョを使うなら
デル・ピエロと共存させたい

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勿論
ユーヴェのバッジョは持っていない


予定が合っても
チームは作れる時間はあるのか…

不安要素ばかり

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2016年10月 4日 (火)

1本半の足のプレーヤー

1985年5月3日

後に誰からも愛されるファンタジスタは
ついにセリエAのチームと契約を交わす

Firen

しかし
その2日後の5月5日
神は過ちを犯すことに…


アリゴ・サッキ率いる対リミニ戦
先制点を挙げた青年は
懸命に相手選手を追い
スライディングを行ったか躓いたのか

サッカーではよくあるように見える光景である



その時の怪我は右膝十字靭帯断裂
220針も縫う大怪我



だがチームは
天才の才能を
ファンタジスタの翼を信じ
契約をしたまま彼の復帰を待つ


アレルギーのある青年は
薬も飲めず
復活への希望のみでリハビリを懸命に行う

青年のセリエAはゼロではなく
マイナスからのスタートとなってしまった

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コッパイタリアの対ウディネーゼ戦
14分だけだが出場を果たす

その後のユース国際トーナメントでの
無理がたたり
再び戦列を離れる

9月17日UEFA杯 対ボアヴィスタ戦で復帰


9月21日 対サンプドリア線で
ついにセリエAのピッチに立つ


しかし
再び半月板の損傷
またもやリハビリとの闘いとなる


翌年1986年4月26日
対インテル戦
後半30分から交代で出場を果たす

その時の事を
どのゲ―ムに出場したかよりも
 走って膝に痛みを感じなかった
 その事が私にとって勝利だった

と語る


約2シーズン棒に振り

迎えたシーズンでは15G
翌年は
当時世界最強と謳われていた
マルコ・ファン・バステンに次ぐ17G

国内期待の若手の地位を確立していった


後にこの怪我の事を
「その場で引退を宣告されても
 おかしくないほどの大怪我
 右膝が逆側に曲がってしまったような状態
 以来 私は1本半の足でプレーしてきたんだ」
と語っている

若干20歳の青年には過酷すぎる試練だった

しかしそのプレーは相手の重心が見えているかのような動きで
足が3本あるかのようなプレーだった









その時のチームA.C.フィオレンティーナ

Atle_08

ユニで縛っても彼と同時に起用できる


しかし
ヴィオラのバッジョは持っていない
(ってかインテルしか持ってない…)



さてチームはどうしよう…

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2016年10月 3日 (月)

もう一人の主人公

1967年2月18日

ヴェネト州カルドーニョ村にて
8人兄弟の3男として生まれた
偉大なスターがいた

Twnall

9歳になった少年は
カルドーニョのプルチーニ(アマチュアジュニアチーム)に入団する

12歳になると
42G20Aの活躍
対レヴァー戦では
ダブルハットトリックをやってのける




その天才少年の噂は瞬く間に広まり
同じヴィチェンツァ県の(当時)セリエC1の
ヴィチェンツア・カルチョの
選手発掘の目に留まる

スカウトは半信半疑だったが
選手発掘担当やチーム関係者が
強く勧めたおかげで
22人の候補生の1人として
入団テストを受ける


当時の様子を本人は

「夏の暑い日でした
 10分間の短いテスト試合で
 2ゴール決めたんです

「私に関して良いレポ―トを
 書いてくれたと思います
 しかし
 ヴィチェンツァのチ―ム・ドクタ―の下で
 働いていた女性が口添えを
 してくれたおかげなんです」


と語っている


13歳6ヶ月でプロチームに入団は果たし
6ヶ月の練習期間を経てプロデビュー
(イタリアの規定で14歳からしかゲームに出場できない)








その頃
監督より“ジーコ”という
ニックネームで呼ばれる

Zico

本人も生まれ故郷の近くの
ウディネに所属している
ジーコに親近感があり

後に
「ジーコに似ているのは
 当然だったんだ
 僕は彼のフリーキックを
 子供の頃から真似ていた
 ジーコのようにプレイしたいと
 いつも考えていたんだからね」

と語っており


実際ジーコとの初対面時
ファンであることを告白している


そのジーコも
「彼はフィールドの中では
 できないことなど何もない」
「FKは見事という他にない
 もし同じ時代にプレーしていたなら
 教えを乞うよ」

と絶賛しており

ファンであると告白された後
自分のゴール集のビデオやグッズを
プレゼントしたという



Baggiov


そしてプレシーズンのヴェローナ戦で
デビューを飾るが
最初の2シーズンは
若さと怪我を理由に6試合1G

初ゴールは対ブレシアでのPK
彼らしいスタートである

そして3シーズン目は29試合12G
ユースでのデビューも果たし
ついにセリエAからのオファーも届きだす









この話が
不滅杯での
不滅の輝き氏ともう一人の主人公
ロベルト・バッジョ

そうファンタジスタの産声の物語


Dcim0036
不滅杯はヴィチェンツアも視野に入れる…?
エントリー始まりましたが予定は未定

チームの確保もできてないので…

でもこのチーム新規監督だったような気が…

Gankobanner_2に参加しつつ

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2016年10月 1日 (土)

prologue to the きーぷざえむ

11月27日の不滅杯

そこに向けてチームを考える…

ブレシアにチーム名「Keep the M」をつけて
師匠越えを狙うも…
今や プレミアディビジョン降格の危機…


他のチームでバッジョを…考え中

しかし一番の敵はお仕事



チーム名の由来はもちろん
お世話になっている協会名


その創設者がふめっしーこと不滅の輝き氏
今や3協会の創設者ですがその1つ目が
2014年11月に設立の この協会

設立より2週間ほど遅れて13人目として加入した
自分の初選出は「ヨエル・フェルトマン」(笑)


そして
2015年1月18日にトーナメント初優勝

自分の選出は「マルコ・ファン・バステン

会長が再現チームをするというのもありました




そんな自分が愛する協会は
ココのパクリです(笑)




おまけ
不滅杯ボツポスター

Fumetsuhaibotsu1
見にくい…

Gankobanner_2に参加しつつ

ここにも参加しAntena3

Antena3に参加しています

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